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フォトジャーナリスト安田菜津紀さん手記。シリア難民が語る「働く」ということ

内戦前、カシオン山から眺めたシリア首都ダマスカス ©Natsuki Yasuda / studio AFTERMODE

みなさんは「働く」ことの意義を考えたことがありますか。賃金や報酬を得るため、生きがいを得るため、自尊心を満たすためなど、さまざまな考えがあるでしょう。しかし、働くということは安心・安全な環境があって、初めてできることだというのをご存じでしょうか。世界に目を向けてみると、労働すら許されない環境のもとで暮らしている人もいます。戦乱を逃れてきた人や厳しい環境下で暮らす人々を数多く取材してきたフォトジャーナリストの安田菜津紀さんに、ご自身が目にし、肌で感じた「働く」ことの意義を語っていただきました。

逃れてくる前は「店員」「弁護士」「運転手」。仕事に誇りを持って働いていた

シリアから南側の国境を越えた国、ヨルダン。ここには正式登録されているだけでも70万人近い人々が、シリアの戦乱から逃れ、難民として身を寄せている。難民キャンプの中でも最も多くの人々が暮らすザータリ難民キャンプでは、8万人近い人々が避難生活を余儀なくされていた。突き刺さるような鋭い日差しの下、乾いた大地を時折突風が吹き抜け、砂埃が視界を覆っていく。そんな褐色の大地に、所せましと並んだテントやプレハブが白く浮き上がって見える。

ここで暮らす人々に、逃れてくる前のシリアでの生活を尋ねてみた。「サンドイッチを売っていた」「携帯ショップで働いていた」「弁護士だった」「運転手だった」と、それぞれが自身の日常を営み、そして仕事に誇りを持っていたことを口々に語ってくれた。故郷での思い出を振り返るとき、彼らの目には活き活きとした輝きが宿る。

ところが隣国ヨルダンでは、一部の例外を除き、基本的にシリア難民の労働は許されてこなかった。その上キャンプからの出入りも厳しく管理されている。キャンプを囲む堀の傍では、ヨルダンの兵士たちが一定間隔で立ち、警備に目を光らせていた。

難民は働くことが認められない。社会から必要とされていないように感じる

シリアではテレビ局のプロデューサーとして働いていたというひとりの父親が、ここにたどり着くまでの道のりを語ってくれた。暮らしていた首都の周辺にも戦禍が迫ってくるのを察し、陸路で移動するのは危険だからと貯金をほぼすべて使い、幼い子ども4人と飛行機でヨルダンの空港へとたどり着いた。そのときはまさか、砂地の真ん中の簡易な施設で数年間過ごさなければならなくなるとは、予想もしていなかったという。たとえ少しの間厳しい環境で過ごすことになっても、数か月もすれば戦闘はおさまり、また故郷に戻れると思っていたのだ。「今はまるで、檻の中で過ごしているようだ」という彼が、仕事が得られないことへの苦痛を語る。「自分がまるで社会から必要とされていないように感じてしまうのです」。その苦悩は、単に収入を得られないことだけではない。

シリアでは当たり前のように日々働き、仕事を通して社会とのつながりを保っていた。ところが隣国に逃れることによって、これまでの人間関係から切り離されるだけではなく、新たにそれを築くこともできない環境にある。そんな結びつきが絶たれる苦痛に耐えかね、危険だと分かりながらシリアに戻っていく者もいるという。「ここでは毎日死んだように生きなければならない。だけどシリアに帰れば死ぬのは一回じゃないか」。そんな言葉を残し、戦闘に加わっていった若者もいた。

心の奥に堆積していくストレスも深刻だ。「シリアで暮らしているときは働きに出ていた父親が、ここでは一日中家にいて、ただ故郷に帰れる日を待っているしかなくなってしまう。その苛立ちを母親にぶつけ、今度はそれが子どもたちへと向けられてゆくのです」。キャンプ内で働くNGO関係者は、そんな負の連鎖を止めようと奔走しているのだとため息をついた。

「働く」ということは単に収入を得るというだけではない

それでも監視の目をかいくぐり、時折配られる物資を外へと売りに抜け出す人々の姿を目にすることがある。こうして得た資金を元手に、一部の人々がキャンプ内で少しずつ商売をはじめ、やがてキャンプの一角が商店街と化していった。誰が最初に呼び始めたのか、その商店街は「シャンゼリゼ通り」と呼ばれている。最近ではその規模が拡大し、「五番街」と呼ばれる通りまで現れた。道を歩いていると、「ちょっと寄っていかないか!」とコーヒーショップやパン屋さんから呼び止められ、ファラフェル(ひよこ豆のコロッケ)を揚げる香ばしい匂いが通りまで広がる。どうやって仕入れるのか、中にはウエディングドレスのレンタルショップまで軒を連ねていた。限られた条件の中で、それでも営みを取り戻していこうという人々のたくましさと、働くことへの渇望をそこに見たように思う。

時折難民として生きる人々に対し、「支援で生活を送り、楽をしている」「怠けている」と避難する声を耳にするが、想像してみてほしい。当たり前のように送っていた日常生活が、ある日突然粉々に砕かれていくことを。そして、そんな日常を取り戻せない環境が、いかに彼らの尊厳を傷つけてきたのかということを。繰り返しになるが「働く」ということは単に収入を得るというだけではなく、人としての誇りや社会との結びつきと密接に関わっているのだ。

2011年3月、シリアが“戦場”と呼ばれるようになってから、7年という月日が経とうとしている。実は内戦前のシリアを何度か訪れたことがある。首都ダマスカスの旧市街の市場は色とりどりの服や名産品、新鮮な野菜やお菓子の店が建ち並び、活気に満ちていた。働ける環境は、安心や安全なくして築くことはできない。彼らが故郷に戻り、また日常を手にし、そして誇りを持って生活を営む日々が再び訪れることを願い続ける。

まとめ

安田さんの手記により、人が働くことで得ているものが、いくつもあることに気付かされました。労働の場を与えられない人々が失ったのは、人とのつながり、社会との結びつき、自尊心。どれも目には見えないけれど、大切なことばかり。いま一度、あなたにとって「働く」とはどういうことなのかを考えてみませんか。

※この記事は2018年1月時点での情報です。


記事執筆:安田菜津紀
1987年神奈川県生まれ。studio AFTERMODE所属フォトジャーナリスト。16歳のとき、「国境なき子どもたち」友情のレポーターとしてカンボジアで貧困にさらされる子どもたちを取材。現在、カンボジアを中心に、東南アジア、中東、アフリカ、日本国内で貧困や災害の取材を進める。東日本大震災以降は陸前高田市を中心に、被災地を記録し続けている。「HIVと共に生まれる -ウガンダのエイズ孤児たち-」で第8回名取洋之助写真賞受賞。写真絵本に『それでも、海へ 陸前高田に生きる』(ポプラ社)、著書に『君とまた、あの場所へ シリア難民の明日』(新潮社)。『写真で伝える仕事 -世界の子どもたちと向き合って-』(日本写真企画)。上智大学卒。現在、TBSテレビ『サンデーモーニング』にコメンテーターとして出演中。

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